Venusをヴィーナス、Victoryをヴィクトリーという具合に、Vで発音する言葉をカタカナのヴで表記することがあります。昔はベトナムのことをヴェトナムと表記していたこともありました。これはもともと日本語になかった表記法で、幕末に外来語を取り入れるために作り出されたそうです。しかし、近年はヴ表記は減少傾向であるとか…。今回はそんな「ヴ」誕生や衰退のお話です。
江戸時代末の万延元年(1860年)、勝海舟をはじめとした約90名の日本人が日米修好通商条約の批准書を交換するために、咸臨丸に乗って太平洋を横断し渡米しました。
この時、ほとんどの日本人は初めて見るアメリカのスケールの大きさ、そして文化の進展具合に圧倒されてしまったのですが、その中で福沢諭吉と通訳として同行した中浜万次郎(ジョン万次郎)だけは、英語を喋ることが出来なければこの先、アメリカと対等に渡り合えないと未来のことを考えていました。
そのことから二人は『ウェブスター大辞典』を購入して持ち帰り、帰国後はさっそく英和辞典の編纂に取りかかっています。
中浜万次郎は14歳の時に乗っていた漁船が嵐に遭遇して伊豆諸島の無人島・鳥島に漂着し、その後アメリカの船に救出されたことで、23歳までの9年間アメリカで生活をしており、その間に学校にも通い、ゴールドラッシュでお金を貯めて帰国をしました。
そのこともあって万次郎は辞書を読むことが出来たのですが、問題はその英語を日本語でどれだけ正確に表記出来るかということでした。
その中で二人が突き当たってしまったのが「V」で始まる音の表記です。
「B」の場合はバ・ビ・ブ・ベ・ボで表すことができたのですが、それまで日本にあった文字では「V]の発音も同じバ・ビ・ブ・ベ・ボと書くしかなかったのです。
そこで福沢諭吉が考案した文字が「ウ」に濁点を付けた「ヴ」で、そこからヴァ・ヴィ・ヴ・ヴェ・ヴォという表記を生みだしたのです。この発明によって日本語に新しい表現が誕生したのです。
ちなみに英語の言葉をカタカナで表記するというスタイルはすでに江戸時代中期に考え出されています。1715年に新井白石が密入国で捕まったイタリア人宣教師ユアン・バッティスタ・シドッチから聞いた様々な西洋の話を『西洋紀聞』に書き留める時に、海外の地名と人名をカタカナで表現することを考えだし、さらに英語に多い伸ばす音を「ー」で表現するスタイルを生みだしています。
そのような形で海外の言葉に対応する形で進化した日本語ですが、近年になってその偉大な発明を捨てようとする動きが出て来ています。
今年、2019年(平成31年)1月に始まった通常国会で議論された『在外公館名称位置給与法』で、海外で働く職員の手当てに関して国の名前を記載するときの表記から、曖昧な「ヴァ・ヴィ・ヴ・ヴェ・ヴォ」を排除しましょう、という取り決めがなされています。
これに該当した国は2国あり、カリブ海に浮かぶ小さな島国「セントクリストファー・ネーヴィス」が「セントクリストファー・ネービス」になり、アフリカにある島国「カーボヴェルデ」が「カーボベルデ」という表記に変わっています。
これによって、海外の発音が苦手な人にも無理なく発音出来るようになったのです。
実はこの流れは以前から始まっていて、かつてはベトナムも「ヴェトナム」、ベネズエラも「ヴェネズエラ」という表記でしたが、2003年(平成15年)に法改正で多くの国が簡単な表記に書き替えられています。そして今回変更された二つの小さな国が最後の「ヴ」の国でした。
もっと古くまで遡ると、アルゼンチンも以前は「アルゼンティン」、エチオピアも「エティオピア」、エルサルバドルも「エルサルヴァドル」、ボリビアも「ボリヴィア」と表記されていましたがいつの間にか改正されています。 昔の表記の方が正しい発音なのですが、なぜかお役所仕事によって決められた表記で、福沢諭吉さんの発明が取りやめになっているのです。
もしかしたら日本の発音はグローバル化に逆行して、退化しているのかもしれません。
寄稿者:杉村 喜光(知泉)
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記事投稿者
杉村 喜光(知泉)
雑学ライターとして、三省堂『異名・ニックネーム辞典』、ポプラ社『モノのなまえ事典』など著作多数。それ以外に様々な分野で活動。静岡のラジオで10年雑学を語りテレビ出演もあるが、ドラマ『ショムニ』主題歌の作詞なども手がける。現在は『源氏物語』の完訳漫画を手がけている。
2022年6月15日に最新巻『まだまだあった!! アレにもコレにも! モノのなまえ事典/ポプラ社』が発刊。