世の中には多くの鉄道愛好家がいて、それらの方々は親しみをこめて「鉄道オタク」、通称「鉄オタ」と呼ばれています。その鉄オタには細かく分類があり、写真を撮ることを好む撮鉄(とりてつ)、乗ることが中心の乗鉄(のりてつ)が有名ですが、列車の音やホームの駅案内メロディ、アナウンスなどを楽しむ音鉄(おとてつ)という方々もいます。 その元祖と思われるのがチェコの作曲家アントニン・ドヴォルザークです。
ドヴォルザークは19世紀末の作曲家ですが、クラシックとポップスの橋渡し的存在として、交響曲『新世界より』は第二楽章のメロディに日本語詩が付けられ、『遠き山に日は落ちて』などという形で愛唱歌となって親しまれています。 『新世界より』は他のパートを、フランスでは俳優セルジュ・ゲンズブールがポップスに、イタリアではヘビメタバンドがハードな楽曲に仕立てているほど、現代のポップスとして通用するメロディとして作られています。 ドヴォルザークはチェコのボヘミア地方の肉屋の息子として1841年に誕生していますが、4歳の時にウィーンからプラハ・ドレスデンまでを結ぶ鉄道が完成しており、自宅近くに敷かれた鉄道に幼少期から魅了されていたそうです。 そのこともあってプラハの音楽学校に進学した時、下宿は学校の近くではなく、わざと常に鉄道の音が聞こえることを条件に駅の近くを選んでいます。 そして授業の無い時はヒマさえあれば駅に出掛けて、駅に入ってくる機関車の型番、スペック、時刻などを克明にメモし、さらに駅員の名前なども記録するようになっていきます。
それは作曲家として大成し、プラハ音楽学校で教鞭をとるようになってからも変わる事なく続けられ、授業の日程は鉄道の日程を基準に組んでいたと言われています。 ある時、新型機関車がお披露目される日と授業の日程が重なってしまった時は、娘の婚約者で弟子だったヨゼフ・スークに、新型機関車の様子をチェックするために駅に出掛けさせています。しかし鉄道にまったく興味の無いスークがメモしてきた物がまったく使えない代物だったため、婚約破棄をしろと大騒ぎになっています。後に二人はめでたく結婚しているみたいですが。 ドヴォルザークはとにかく汽車の走る音が好きでしたが、レコードの原型はすでに発明されていた時代ですがまだ野外で録音するような技術も無かったので、音楽家として耳でその音を記録して、それを楽曲の中に活かすという形で再現しています。 目的もなく汽車に乗ってその走行音を楽しんでいたそうですが、その音から発想した曲が『ユーモレスク』という曲になっています。ゆったりしたリズムから始まり、次第に気持ちよく速度をあげていく様子が汽車そのものなのです。
そんな形で毎日のように汽車に乗っていたドヴォルザークはある日、その走行音の異常に気がつき「今すぐ汽車を止めて点検をしてくれ。走行音が異常だ、このままでは大事故に発展する」と騒ぎだしたのですが、誰もその事に気がつきません。機関士も「いつも通りで問題ないですよ」と笑う始末。 しかしドヴォルザークは涙声で「いつもとリズムが違うんだ!音楽家の私の耳を信じてくれ」と訴え続けたため仕方がなく点検をしたところ、指摘通りに欠陥が発見され大事に至らなかったということもあったそうです。
そして代表曲『新世界より』という交響曲は、めざましい発展を遂げている新大陸で最新の鉄道を経験出来るということでアメリカに渡って作られたものです。そして曲中、1回だけ鳴るシンバルは汽車を連結する音を表すなど、楽曲のあちこちに汽車の動きを彷彿とさせる仕掛けが施されているのです。 汽車の音は興味のない人にとってはただの走行音でしかありませんが、聴き方によっては音楽になりうるものなのです。
寄稿者:杉村 喜光(知泉)
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