聞き間違いという現象はコミュニケーションのミスをまねき、それが人間関係を傷つけることも起こり得ます。一方それが逆にある種の面白さを生むという側面もあり、タモリ倶楽部(テレビ朝日)、水曜日のダウンタウン(TBS)などのバラエティ番組の企画では聞き間違いを利用したおかしくも興味深い人間の様子をみることができます。人間の不完全さをうらむのか愛するのか、考え方ひとつというわけです。
テレビ朝日系列で1982年から39年も放送されている深夜番組『タモリ倶楽部』、その中で人気コーナーとして続く「空耳アワー」があります。
外国語で歌われている曲の歌詞がなぜか日本語に聞こえてしまうということで数多くの名作が生まれてきましたが、実際には画面に表示される空耳した日本語のテロップがないとそのように聞こえないというものも少なくありません。
これは視覚情報として認知したものを脳が補完して聞いてしまうことから起こる錯覚です。
しかし一度認識してしまった音はその後、テロップがなくても空耳として聞こえる現象が起こってしまいます。
これは音を理解する大脳の聞き取りシステムが勝手に音を経験値から読み込んでしまうことから起こる錯覚です。そのシステムの頂点部(トップ)に音情報が入ってきた時「この音はこういう意味」と脳神経の下部に向かって命令を下すことから生じる現象で、これを「トップダウン処理」と言います。
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この錯覚を利用した小説としてエドガー・アラン・ポーが1841年に書いた元祖密室殺人ミステリーと言われる『モルグ街の殺人』という作品があります(以下ネタバレを含みます)。
密室で殺人事件が起こった時、その部屋の中から奇妙な声を聞いたという複数の証言があったのですが、その言葉の意味を誰も理解できなかったことから「フランス語に聞こえた」「スペイン語だ」「ロシア語だ」と人々は犯人の考察を始めます。
しかし判明した犯人は人間ではなくボルネオ産の大きな猿だったのです。
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これは犯人が人間だという思い込みから、各自が自分の知っている知識の中から一番近い音を探してきてしまう現象を使ったミステリーなのです。
同じように真夜中、風によって木々がサワサワと音を立てるのが「人間が笑っている声に聞こえる」という現象となり怪談に発展します。
TBS系で放送されている『水曜日のダウンタウン』の中で「何気ない日常の挨拶、”お疲れ様でした”を言う場面で最初の”お”と最後の”した”だけ言えば、途中何を言っても相手が勝手になんとなく”お疲れ様でした”と認識してしまう」という説が検証されたことがありました。
実際には早口で「お母さんした」「お蔵入りした」「大塚愛でした」などという、その場ではありえない言葉を口に出しているのに”お疲れさまでした”に聞き取ってしまうというものです。
これは会話の文脈の中で”お疲れ様でした”と言うだろうとの思い込みから、ちょっと聞き取りにくくても「お****した」が「お疲れ様でした」に脳補完されて聞こえてしまうのです。
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これは、実際には聞き取れていない音を耳が勝手に修復して意味を持たせてしまう現象で「音の修復」と言います。
たとえば「さようなら」と言った瞬間、ホームに電車が入って来るなどして最後の「なら」が聞き取れなかったとしても、完全な形で「さようなら」と聞いたような気になってしまうこともあります。
これは録音した音でコンピュータが聞き取ろうとしても「さようなら」を読み取れません。つまり完全なはずのコンピュータやAIなどでは聞き取れず、不完全な耳だからこそ聞き取れてしまう音なのです。
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音の不思議として、大人数が集まった場所で様々な音が交錯して聞こえているのに会話をしている相手の声だけ聞こえるという現象もあります。
これは「カクテルパーティ現象」と呼ばれるもので、大量の音の中から会話をしている相手の声質などを脳が瞬時に判別し、他の音が聞こえないような錯覚を引き起こすもので、相手の方向から聞こえる声を認識する以外に、耳から入った大量の音を脳が分解して再構築する、という複雑な過程を経て起こる現象で「聴覚情報分析」ということがされているそうです。
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人間の耳はまだ解明されていない部分も多くありますが、その不完全さはコンピュータでも分析できない不思議な優秀さに溢れているのです。
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記事投稿者
杉村 喜光(知泉)
雑学ライターとして、三省堂『異名・ニックネーム辞典』、ポプラ社『モノのなまえ事典』など著作多数。それ以外に様々な分野で活動。静岡のラジオで10年雑学を語りテレビ出演もあるが、ドラマ『ショムニ』主題歌の作詞なども手がける。現在は『源氏物語』の完訳漫画を手がけている。
2022年6月15日に最新巻『まだまだあった!! アレにもコレにも! モノのなまえ事典/ポプラ社』が発刊。