感覚障害があると、日常生活を送るうえでさまざまな困りごとが生じます。例えば視覚障害があれば道が分からなかったり文字情報が読めません。聴覚障害があると生活音が聞こえなかったりコミュニケーションに困ります。こうした”足りない情報”を社会全体で補っていくことを「情報保障」といいます。では、聞こえない、あるいは聞こえにくい人には具体的にどのような支援が必要になるのでしょうか。ご自身も難聴者で、難聴者支援にも携わる高岡正さんにお話を伺いました。
高岡正(たかおか・ただし)さん
東京手話通訳派遣センターセンター長。乳児期に難聴に。食糧メーカー会社員として製造・物流部門を担当しながら、社団法人全日本難聴者・中途失聴者団体連合会(全難聴・会員3,000名)理事長を歴任。総務省などのIT関連委員も務めた。
聞こえない不便さに対する”合理的配慮”
ーー聴覚障害の情報保障とはどんな考え方でしょうか。
高岡 難聴の方は軽度から重度までさまざまな方がいます。身体障害者手帳による聴覚障害者の認定を受けた方は34万人前後ですが、聞こえにくさに悩む方は1200万人いると言われています。こうした方の多くが、日常生活では聞こえない、あるいは聞こえにくいことで不便を強いられています。障害を持っているための不便さ、不自由さ、不公正さを社会の配慮によってなくしていこうーーこの考え方の元になるのが2006年に成立した国連障害者権利条約です。日本もこれを批准するために、障害者基本法、障害者差別解消法が成立しています。情報保障は、障害者の情報を受ける権利、情報を発信する権利を表した考えと言えます。
ーー聞き取りにくい場合、日常生活ではどのような困りごとが生じるのでしょうか。
音はさまざまな役割を担っています。例えば自動車のクラクションが聞こえない状態は事故につながりますし、災害時の緊急避難の警報が聞こえないと大変です。また、来訪者がチャイムを鳴らしていたり、換気扇が回しっぱなしになっていても、音が聞こえなければ気づません。電車に乗ったとき、アナウンスが聞き取りにくいのも不便ですよね。さらに近年は、インターネットの動画やオンライン会議のように音声情報が必要なメディアやコミュニケーションツールが増えています。こうした音情報にアクセスできないと、そもそも社会への「参加」ができず孤立してしまいます。聞こえに悩む方の多くは、必要な情報が足りないまま日常生活や仕事をしていることになります。 この足りない情報を補っていくことが情報保障の基本です。障害者差別解消法では障害に対する「合理的配慮」を義務付けています。英語では Reasonable Accommodation と言います。わかりにくいかもしれませんが、「配慮」というのは思いやりのことではなく、具体的な設備や対応、措置のことを指します。個々人の障害の特性に合わせて、障害のある当事者と周囲の双方が対話しながら現実的な対策を講じていくことが求められています。
聞こえやすい環境づくりや最新機器の活用
ーー具体的にはどのような対応や設備が必要になるのでしょうか。
高岡 周囲の人が気を付けるべきこととしては、聞こえやすい会話への配慮ですね。例えば難聴者との会話の際は大きな声でゆっくりはっきり話し、また近くで話すと聞き取りやすくなります。静かな環境を整えることも大事です。私の場合は人工内耳をして聞こえを補っていますが、周囲がうるさいと聞き取りにくいので、家で会話するときは、テレビを消して、水の音や新聞紙をたたむ音、ビニール袋の音など立てないようにいったん手を止めて、音が重ならないようにします。
企業のレベルでは、聞こえを補う製品・技術を利用したり、自社の従業員のために必要な装置を取り入れることが考えられるでしょう。例えば会議室やセミナー会場などでは、ヒアリングループ(マイクを通した音声を直接補聴器や人工内耳へ伝える装置)や拡声装置などが望ましいですね。講演などでは要約筆記があるとさらに理解の助けになります。また、最近増えてきたオンライン会議では、パソコンと補聴器や人工内耳をワイヤレス接続して聞いている方もいます。
文字情報による支援も有効です。オンライン会議システムの英語版では字幕機能を各社が用意しています。これは米国で一人の難聴者が、聴こえる人との平等を求めて、オンライン会議システムに字幕機能を要求したことがきっかけで広まりました。その後、一部のオンライン会議システムでは、日本語版でも字幕機能が使えるようになっています。 同じようにテレビの字幕放送や字幕付きの映画があれば理解しやすくなります。最近ではYouTubeの字幕機能も便利ですね。デパートや駅などでは、音声アナウンスだけでなく電光掲示板による文字情報の提供もあると助かります。
字幕、要約筆記、手話通訳で異なる役割
ーー字幕と要約筆記にはどのような違いがあるのでしょうか。
高岡 字幕は、音声情報をそのまま文字に置き換える手法です。聞こえだけでは理解しづらいとき、やはり文字があるのは理解の助けになります。しかし、複雑な内容になると字幕だけを読み下して話の内容を理解するのは実はすごく難しいのです。例えば記者会見を字幕だけで見ても、文字を追うことで精一杯でその内容を吟味するのは大変な方もいます。こうした場面では要約筆記が活躍します。要約筆記では、話者の状況なども踏まえて、話の要点をわかりやすく言語化してくれる。字幕はメディア転換だとすると、要約筆記は翻訳というイメージですね。
ーー最近は字幕に加えて手話通訳が用意されている場面もありますね。手話通訳の意義も教えてもらえますか。
そもそも手話とは、日本語とは異なる言語です。手話を第一言語としている聴覚障害者もたくさんいます。こうした人が日本語の字幕を理解する際は、外国語を読むように、一度頭のなかで言葉を変換する必要があります。その点、手話ならダイレクトに話の内容がわかります。手話は手指の動きだけでなく、顔の表情や身振りの力強さなどで言葉の強さやニュアンスまで表現できます。ですからニュースなどでは字幕と手話通訳が同時に示されているのが理想です。ただし手話通訳や要約筆記には高度な技能が必要です。需要の増加に対して、担い手の育成が追いついていない状況は改善していかなければならないでしょう。
共通体験のない「聞こえにくさ」への配慮を
ーー当事者として周囲にどんな働きかけが必要でしょうか。
高岡 聴覚障害は「見えない障害」といわれます。当事者の側からも「どのように困っているのか」「どんな支援が必要なのか」の声を上げていくことはもちろん大事です。しかし「聞こえにくさ」を言葉で説明し、健聴者に理解してもらうのは実は非常に難しいのです。というのも、聞こえている人には「聞こえにくさ」が体験できないためです。さらに、聞こえにくさは一様ではなく、体調や環境にも左右されます。昨日のAさんの話は聞きとれても、今日のBさんの話は聞き取りにくいこともあり得るわけです。また、難聴者からすると聞こえていないので、そもそも情報が足りていないということがわからない場合もあります。社会の側で情報保障の配慮をする際は、こうした側面も知っておく必要があるでしょう。
ーー社会全体で聞こえの情報保障は進んでいると思いますか。
近年のオンライン会議システムの字幕機能の追加や手話通訳派遣の増加状況などをみると、取り組みは広がってきているように思えます。ただし、情報保障の意義を理解した取り組みになっているとは言い切れません。
2021年の東京五輪の開会式のテレビ中継には字幕はありましたが、手話通訳がありませんでした。聞こえない人や団体が組織委員会やNHKに要望した結果、閉会式にはEテレで手話通訳のついた放送が行われました。めでたしのようですが、放送中に台風19号上陸のニュースに切り替わった際には、手話通訳が付いておらず、命にかかわる災害情報はその地域の聞こえない人たちには届かなかったのです。
情報保障がなぜ必要なのか、その意義がしっかり社会に理解されなければならないと感じます。また、社会にさまざまな情報保障のソリューションがあったとしても、肝心の難聴者らにその存在が知られなければ活用はできません。現在は当事者団体の他、補聴器販売に関わる方々や医師、言語聴覚士、学校の教員、当事者団体などがその橋渡しを担っていただいています。聞こえのバリアをなくすために、社会全体で情報保障の充実に取り組んでいけるといいですね。
ーー本日はありがとうございました。
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記事投稿者
ヘルシーヒアリング編集局
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