伝説的な映画女優オードリー・ヘップバーン、電話の発明者グラハム・ベル、教育家、社会福祉活動家、著作家のヘレン・ケラー。いずれも劣らぬ高名な人物たちには意外なつながりがあります。これらをひとつの線でつなぐきっかけは、イギリス人学者メルヴィル・ベルが聴覚障害をもつ妻イライザと会話をしたいと考えた「視話法」。今回はひとつの結婚が紡ぎだしたさまざまな物語をご覧ください。
聴覚障害を持つ人の会話教育ために考案された視話法というものがあります。
視話法は現在はすでに使われていない教育法ですが、口の中で舌をどのように動かせばどんな発音が出来るかという方法で、1867年にイギリス人学者アレクサンダー・メルヴィル・ベルによって考案されました。
メルヴィルはもともと演説学者として言語学を教えていた方でしたが、奥さんのイライザが聴覚障害を持っていたために「彼女と会話をしたい」と考え、どのような形で発音出来るかという研究をしてたどりついた成果が視話法だったのです。
当時は画期的な方法として取り上げられ、メルヴィルも有名な学者の一人となっています。
そしてメルヴィルがモデルとなった有名なお話があります。
それはオードリー・ヘップバーン主演で有名な1964年の映画『マイ・フェア・レディ』の原作、バーナード・ショウが書いた戯曲『ピグマリオン』です。
物語は田舎から出て来た訛りのひどい女性を音声学の教授ヒギンズが徹底的に都会風のしゃべり方に直し社交界にデビューさせるというもので、その中に視話法も出て来ます。そしてヒロインの名前がメルヴィルの奥さんと同じ、イライザなのです。
メルヴィルには3人の息子がいましたが、次男が電話の発明者として知られるアレクサンダー・グラハム・ベルです。
グラハム・ベルは視話法の講演会などの手伝いなどをして、さらにロンドンの聾学校などで聴覚障害者のための教育に携わっています。その中で出逢った後に奥さんになる女性、メイベルも聴覚に障害を抱えていました。
二人が出逢った当時、1870年代に音声を電気信号に変えて離れた場所にある機械から鳴らすという最新の技術が話題になっていました。それを知ったベルは「これは聴覚障害者のために使える」と考え機械の開発に着手しています。
よく「電話はベルの発明」と言われていますが、実際にはその原理はそれ以前から存在しており、簡単に使える機械の開発をしたというのが正しい言い方です。そのこともあって同時期にエジソンを始めとして多くの人が開発を進めていました。
その中で、1875年、ベルがもっとも早く特許を取得出来たということです。
ただしベルが電話を開発していた時は周囲には何を作っているのかあまり理解されずに、メイベルの父親からは「仕事そっちのけで変なオモチャを作っているようなヤツに娘は嫁にはやらん」と言われていたみたいです。
しかしベルの開発した電話は発表されると大いに話題になって、ごく短期間でアメリカ大陸に張り巡らされ、さらに世界中に広がって行きます。
つまり電話はもともと補聴器として開発されていたものだったのです。
ベルは電話の発明者として名声を得て電話会社を興した後も、聴覚障害の教育を続けています。
その中で聴覚障害から喋ることも上手に出来ず、さらに視覚障害も持つ少女ヘレン・ケラーに出逢っています。そこでベルは知りあいにいた優秀な家庭教師のアン・サリヴァン女史を紹介しているのです。
ヘレン・ケラーはこの出逢いのことを「ベル氏によって閉ざされていた世界から開放された」と感謝して語っています。
そしてヘレン・ケラーは学校を卒業した後、世界中を「どのような努力で障害を克服したか」という講演活動で回っています。当時はまだ世界中を旅するのは簡単にできない時代でしたが、電話事業で得た収益を元にベルがスポンサーになって講演活動が出来るようになったのです。
学者メルヴィルが聴覚に障害を持つイライザと結婚したことから、様々な物語が紡ぎ出されていったのです。
寄稿者:杉村 喜光(知泉)
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記事投稿者
杉村 喜光(知泉)
雑学ライターとして、三省堂『異名・ニックネーム辞典』、ポプラ社『モノのなまえ事典』など著作多数。それ以外に様々な分野で活動。静岡のラジオで10年雑学を語りテレビ出演もあるが、ドラマ『ショムニ』主題歌の作詞なども手がける。現在は『源氏物語』の完訳漫画を手がけている。
2022年6月15日に最新巻『まだまだあった!! アレにもコレにも! モノのなまえ事典/ポプラ社』が発刊。